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「今日のリウマチ治療の進歩」 関西医科大学整形外科学助教授 赤木 繁夫 平成11年(1999年)10月3日(日)15時30分〜16時20分 守口文化センター・エナジーホール 司会 岩坂教授(第2内科学) |
司 会(岩坂 壽二・関西医科大学第2内科学教授) ……ですがなかなか治らない、苦痛も非常に多い病気の代表がリウマチという病気であろうかと思います。リウマチというのはどの科にかかっていいのかわからないということがありましたが、リウマチ科と標榜することになっております。本学の附属病院にもそういう診療科ができました。このリウマチは不治の病に近い病気で、苦しみを長く引きずる病気の代表的なものです。その治療法も大分進歩してきています。そのことについて、整形外科学助教授の赤木先生にお話をしていただきます。
よろしくお願いします。
赤 木(関西医科大学整形外科学助教授) そろそろ皆さん、お疲れになったのではないかと思います。もう3時半ですから、晩御飯のこととか考えないといけない時間になってきましたが、あと1時間だけおつきあいいただきたいと思います。
いま岩坂教授からリウマチの話をというご紹介でしたが、リウマチは非常に範囲が広い病気です。岩坂先生がおっしゃった慢性関節リウマチという全身の関節が痛んでしまう病気もあります。リウマチ性疾患といえば、関節が痛いとか腰が痛いとか、運動器に痛みが出る疾患すべてを言います。
きょうは、リウマチを含めてそういう関節とか背骨の痛みに対して、我々はどこまでのことができるか。そして、特に整形外科の医者がこういうところで話すという機会はあまりございませんので、整形外科はどういうところから始まった学問か、あるいは21世紀に向かってどの方向に進もうとしているのか。そういう話もできたらと考えています。
実は極めて私事ですが、私は2週間前に退院したところです。こう見えても……ごっつい体をしていますが。生まれてから44年間、医者になって20年近くなるのですが、病気をしたことがなかったんですね。それだけが取り柄だと思っていたのですが、今回初めて病気して手術を受けて、2週間前に退院したところです。
入院とか手術がこれだけ辛いものだとは思いませんでした。私は主に背骨の手術をしていますが、患者さんに手術をしなさい、切りなさいと言っていた自分の態度がこれから変わるかなあという感じで、1カ月間の苦しい闘病生活を過ごしました。
入院中に読んだ本の中で、司馬遼太郎のお知り合いの方で「ふと道を歩いていて、ふと見上げたら病院があったので、ふらっと入って、ふと痔の手術をした」という方がいらっしゃったようですが、なかなかそうにはいかないですね。手術を受けるのは非常に怖いものだと思います。先ほど、澤田教授から非常に簡単な方法の紹介がありましたが、我々はやはり“大工”ですので、かなりごついことをずっとやってきました。しかし、実際にやっているのとやられるのとではえらい違いだというのが、今の印象です。
皆さんの中も入院された方がいらっしゃるかもわかりませんが、本当に病気になって初めて、健康であることのありがたさがわかりますね。我々は大体25歳ぐらいで医者になって65歳ぐらいまで、40年ぐらい医者をします。私はちょうど20年経って、マラソンでいうと折返点に入ろうとしたところで、今まで一生懸命覚えてきたことを後輩に伝えようとか、患者さんに還元しようという時期に、自分自身が患者さんの役を初めてさせられたのは、神様が私に試練を与えたのかなあと思いながら1カ月間を過ごしました。
きょうの講演会は実は1カ月間の入院から退院して初めての公的な仕事で、私の後半の医者としての人生のスタートだと、独り感傷的になっているところです。 いずれにしても、きょうは整形外科の話を広くしたいと思いますので、気楽に50分ほどお話できたらと思います。
皆さん、整形外科はどのような分野を扱っているかご存じでしょうか。先ほどリウマチが紹介されました。この会場にはおじいちゃん、おばあちゃんもたくさんいらっしゃいますが、そういう方の関節とか腰を温めたり、骨接ぎ屋さんという話もあります。
きょう、いくつか小道具を持ってきました。まず、この金属の棒を何に使うかご存じですか。これは皆さんが太股の骨を折られたときに、我々が手術に使うの小道具です。外傷学、「けが」は整形外科学の一番大きな領域です。骨の中には福原教授のお話にあった骨髄液はありますが、空洞になっています。太股の骨を折ったときに、骨折部を開けずに股関節のあたりから骨の中にごりごりと入れます。それこそ澤田先生の簡単な手術ということになるかもわかりませんが、骨折部を開けずにこういう金属棒を入れると、太股を折っても次の日から座れます。あるいは1週間ぐらいで歩く練習ができます。
これはキュンチャーというドイツの方が開発したクギで、キュンチャークギ(Kuntscher nail)と呼ばれていて、世界中で使われています。キュンチャーはこのクギを1940年、第二次世界大戦の前に発表しました。その結果、第二次世界大戦で非常に多くの患者さんが助けられたんですね。戦場で傷ついた人にこういうクギを入れることで、次の日から動けるようになりますから。
外傷学が整形外科学の一つの大きな領域ですが、非常に皮肉なことに、戦争をきっかけに発達してきました。日本はまるで幸せな国で戦争も少なかったと思いますが、世界的に見れば20世紀には非常にたくさんの戦争の歴史があります。ヨーロッパでは特に18〜19世紀に非常に多く戦争してきました。例えばギプス包帯というのがありますね。あれも1800年代中頃にオランダの軍医、マタイセンという方が開発しました。
普仏戦争というのを学生時代に習われたと思います。ドイツが統合される前のプロイセンと言われた時代のドイツとフランスが戦争した1870年頃に、けがをした兵隊さんをギプス包帯で固定して輸送するということが非常に広まったんですね。そういうことで、整形外科の外傷学は非常に大きな領域ですが、戦争をきっかけに非常に進歩したきた皮肉があります。
そしてもう一つ、小道具を持ってきました。スプーンと粉があります。粉に容器に入れて、水を入れて小麦粉のように溶かします。料理をしているわけではありませんが、我々が手術中にこういうことをしているということをお示したくて持ってきました。そしてかき混ぜます。これは実は、皆さんの体に使うセメントです。ドロドロになったものを、捏ねていると大体10分ぐらいで固まります。
外傷学は一つの大きな領域ですが、もう一つの大きな領域は関節ですね。関節の悪い方、リウマチの方もたくさんいます。いろんな関節がいろんな病気で痛みます。最終的には、例えば歩けなくなるとか肩が上がらなくなるとか、関節の機能がなくなるわけですが、そういう関節をいかにして作りなおすか。大工さんの仕事ですが、それが20世紀の整形外科のもう一つの夢でした。
1900年頃、今から 100年前ぐらい前にそういうことを考えた方がいらっしゃっいました。悪い関節を切って何か代用品を入れようということになります。今回、いろいろ調べてみると、最初はアイボリー(象牙)を使ったというアイデアがありました。しかし、象牙を生体の骨とどうくっつけるかという問題があります。最初の報告では松脂を使っています。そういう歴史があって、現在の人工関節があります。
1950年ぐらいから、先ほどのキュンチャーのクギと一緒ぐらいの時期ですが、第二次世界大戦の頃に金属を体の中に入れるという考えが出てきて、最初はコバルト合金でした。ポリエチレンができて、今ではチタン−−ゴルフされる方はチタンヘッドをご存じかと思います、あるいはセラミックとか、いろんな金属が人工物として使われるようになりました。そういう金属を生体にどうやってくっつけるかという問題が残っていますが、1950〜1960年頃に人に使うセメントが開発されました。
我々は手術で悪い関節を削って、その患者さんにあった人工物を選んで、術者の横で若い医者がセメントを溶いていて固まったきたところで、人工物と骨とをくっつけるわけです。これが1960年頃に開発されて、関節の形成術が非常に進歩しました。20世紀の一つの大きな関節外科領域の進歩だと思います。セメントを使うことによって、固まるときに熱を持ってきますが、大体10分ぐらいでかちっとした関節ができあがります。
外傷と関節の手術と、もう一つは脊椎の手術です。首が痛いとか腰が痛いという患者さんがたくさんいらっしゃいます。腰が痛いぐらいだとまだいいのですが、脊椎の中には神経が入っていますから、足が痺れる、手が痺れる、ひどい人は歩けないという患者さんが多くいます。そういう領域も我々の整形外科の対象です。
外傷、関節、脊椎。もう一つは腫瘍ですね。手足のでき物(肉腫)があります。さらに、いろんな関節の変形をもった小児や子供の治療ですね。その他にリハビリテーション。ですから、整形外科が扱う領域は、内臓を除く首から足の先まで、我々が動くために必要な運動器を扱う外科が整形外科だと考えていただきたい。
例えば、朝起きてまず歯を磨きます。歯を磨くためには首からの神経伝達があって手で歯ブラシがちゃんと握れる。これは非常に重要なことです。そして口に手が届くためには、肘は90度しか曲がらないと困るわけですね。歯を磨こうとすると、やはり 120度ぐらい曲がることが必要です。
トイレに行ってお尻を拭こうとすると、肘はここまで伸びなければ届かない。手首がこういう状態で固まると、お尻が拭けない。例えば両方の手関節が不孝にして固まる患者さんがいますが、そういう方の手首を固めるときは、わざとお尻用の左手は少し下向きに、鉛筆やお箸を持つ右手は上向きに固めます。そういうことを考えながら手術をしています。
おトイレに行かれた後は膝や股関節で歩きます。そういうすべての動作を日常生活動作(日常生活をするための動作)と言います。もちろん我々が扱うのは命にあまりかかわらないのですが、日常生活動作をするために運動器が必要です。その分野を扱う外科が整形外科であり、修理したり建て直したりする、いわば体の大工さんみたいなものだと考えていただきたいと思います。
ただ、本にも書いていることですが、もともとの整形外科、英語でオルソペディックス(orthopaedics)はそうではなかった。 orthos はギリシャ語で矯正する、真っ直ぐな、曲がっているものを真っ直ぐにする、paideia は小児あるいは子供を育てるという意味ですね。だから、もともの整形外科、整形学(オルソペディックス)は曲がっている子供を真っ直ぐに育てるというところから始まっています。不良少年を更生させるという意味ではありませんが。
整形外科は1741年、今から 250年ぐらい前にフランスでできた学問で、ニコラ・アンドレ (Nicolas Andre)という方が教科書を書いています。当時、関節や背骨や手足の曲がった子供が多かったと思います。今ではほとんどなくなりましたが、くる病というのをご存じでしょうか。あるいはポリオ。ワクチンがなくてポリオにかかると足が歪んでくることがあります。結核カリエスでも子供の背骨が曲がります。あるいは股関節脱臼とか内反足とか、背骨が曲がっているとか。脊柱とか四肢にいろんな変形を持つ子供が恐らく多かったと思います。そういう子供をいかに矯正して真っ直ぐに育ててやるかというところから、整形外科(orthopaedics)が始まっています。
ところが、最初に田代学長からお話がありましたように、日本は高齢化が著しく、6人に1人ぐらいが高齢者ですね。私が高齢者になる頃、20年後には4人に1人が高齢者になります。澤田教授とか岩坂先生が心臓のことをなさるから……とは申しませんが、寿命がどんどん延びていますから。男性の寿命は下がっても女性の寿命が延びていますね。皆さんご存じですね、ことしの男性の寿命はバブルが弾けて40歳代、50歳代で自殺する人が多くて、初めて下がりました。男の人はかわいそうですね。女の人は非常に幸せというか、いつまでも生きておられるわけですが。
そうなると、背骨と関節がどうしても傷んできます。そういうのを立て直すのが今の整形外科の中心になっています。小児の矯正学がもともとの始まりでしたが、今では高齢者の外科になっているという現状があります。関節が痛いとか背骨が痛いという方がたくさんいらっしゃいます。そういう方に我々がどこまでできるようになっているか、というところをお話しできたらと思っております。
( slide No. 1 (a)(b)) 今回、眼の病気で入院1カ月近くしていたのですが、暇な上に体は元気で退屈で、入院中にいろんなことを調べていました。1741年、ナポレオンが出てくるフランス革命前のブルボン家の華やかな頃ですが、その時代にニコラ・アンドレという内科の先生が整形学という教科書を初めて書きました。(a) これはその本の挿絵です。
彼は、足が変形した子供を治すのにこういう概念でやりなさいという挿絵を書いています。要するに、曲がっている若木を真っ直ぐに育てるために、支柱を立てることによって、だんだん若木が真っ直ぐに伸びていきますよと。もちろん当時は手術療法なんかないわけですから、装具で矯正する考え方で子供の変形を治療していました。これが我々と言いますか、世界中の整形外科のシンボルであり、原点になっています。
(b) 日本では整形外科の先生は2万人ぐらいいますが、日本の整形外科医の集まり(日本整形外科学会)が1926年ですから、関西医大ができた頃に創立されました。そのシンボルマークが、若木が曲がっていて、それを矯正しているという絵です。実はこの2月にアメリカの整形外科学会に行きましたが、その学会雑誌の表紙も同様のシンボルになっています。
今回つくづく眺めて、ふと気がつきました。アメリカの雑誌はオレンジの若木で、実が落ちています。日本は桜の若木なんですね。だから原点は一緒ですが、国によって木が違っているのかなあと。今回世界中を調べてみようと思っていますが、いずれにしてもアメリカのはオレンジだと考えています。
そういうふうにして始まった整形外科ですが、最近の我々の仕事は樹齢60年、70年、80年の枯れた木とは言いませんが、かなり傷んだ木を立て直す、修繕する方向に変わってきています。でも、変形を持つ子供さんが少なくなったとはいえ、いまだに小児整形外科領域、この当時に非常に重要であった疾患はもちろんあります。
( slide No. 2 (a)(b)) 皆さんは成人病や癌の話を聞くことは非常に多い思いますが、こういうスライドを見ることは少ないと思います。
これは当時から非常に重要で記録も多い、側弯症という子供の病気です。子供から女の体になる間のホルモンバランスが崩れる思春期に、どういうわけか背骨が曲がってくる病気があります。背骨が、正常ならば真っ直ぐなんですが、曲がってきます。90度、 100度とひどく曲がってきますと、肺の機能とか心臓の機能に影響してきます。こういう病気に対しては、本を見ますと昔からいろいろ苦労されていたようです。今回、昔の教科書をいろいろ漁ってみました。
( slide No. 3 (a)(b)) (a) これは1666年ですから 300年前の教科書ですが、側弯の矯正法として載っています。ベッドにくくりつけて、こっちとこっちを紐で引っ張って、板でぎゅっと押さえ込んでいるんですね。こういう恐ろしいことをしていたし、(b) 1800年くらいの教科書では、背骨の変形を治すために、頭に輪っかがついていて、紐でつり上げています。ピアノを弾くときもこういうふうにして引っ張りながら弾きなさいと書いています。非常に苦労されています。
( slide No. 4 (a)(b)) (a) これが今から 150年前ぐらい前の装具です。笑ってしまいそうですが、頭をつるし上げて、金属をつけて脊柱の変形を矯正するという装具が考えられていました。それが原点になって、(b) 今ではこのような装具療法をしていますが、こういう病気に対しても外科的なことができるようになっています。
次は手術中の写真ですので、気のよくない人は目をつぶっていてください。
( slide No. 5 (a)(b)) (a) X線写真で背骨が曲がっているのがわかります。それに対して、当時は装具療法をしたり牽引したり体操したりと、保存療法をしていたのですが、手術ができるようになってきています。(b) 曲がっている脊柱にロッドを立てて、伸ばします。考えてみると、これはまさにニコラ・アンドレが1741年の教科書に描いた挿絵と同じことができるようになってきています。
思春期の若木に対して添え木をあてて一気に矯正してしまう。フックを使ったり椎体(背骨)にスクリューを打つわけです。この例は左側への弯曲ですから、当然、左側に対しては引き延ばすような力を加えます。右に対しては短縮するような力、あるいはこのロッドに対して脊柱を引っ張り上げるような力を加えます。いろんな力を加えて矯正するということが、特にこの10年ぐらいでできるようになっています。
この手術は首から腰まで切らなければなりませんから、非常に大きな手術です。手術材料が進歩したこと、あまり出血しないように低血圧麻酔という麻酔の方法ができたこと、あるいは自分の血を溜めておいて手術のときに戻してやる自己血の輸血方法、あるいはモニタリングができるようになったこと、などのバックアップがあります。
我々の教室でも一生懸命やっているのですが、背骨の中には、ご存じのように、神経があります。曲がって発達してきているのを、急に真っ直ぐにすると麻痺を起こす可能性があります。そういうふうなことになると取り返しがつかなくなりますので、術中には電気を頭から流して足で拾って、脊髄の神経が正常であることを確認しながら、背骨をぐっと伸ばすことができるようになっています。
側弯症の歴史一つ取っても、整形外科がいかに小児整形の中から進歩してきたかということがご理解いただけるかと思います。小児整形でも、この10年ぐらいで急速に進歩してきた領域もあれば、ずっと同じような方法でなされている病気もあります。
( slide No. 6 (a)(b)) こういう病気もあまり見ることもないと思いますが、内反足という、足が曲がって生まれてくる赤ちゃんがいます。これも母親にしたらシリアスな問題ですが、ピポクラテスの時代から記載がある病気です。
皆さんは何も考えずに足の裏を接地して歩いています。足の裏が接地することは当たり前のことですが、極めて重要です。内反足では足の甲で歩くことになりますので、徐々に矯正していく治療をします。ヒポクラテスの時代にもなるべく早い時期から少しずつ矯正しなさいという記載があります。それが2000年以上もずっと引き続き行われております。私自身もこういう病気に非常に興味があって、もう50例以上の赤ちゃんをずっと治療してきましたが、足の裏側が地面について歩けるということは非常に重要です。
( slide No. 7 (a)(b)) 今回、いろいろと本を見ていて、これも本屋さんで見つけました。(a) 紀元前1500年、今から3500年ぐらい前のメンフィスというエジプトの古都の壁画です。内反足も歴史的にこの時代からあった病気なんですね。3500年前の司祭かと思いますが、尖足(せんそく)といって、かかとが地面についていません。先天性内反足だったのか、ポリオだったのか。ポリオがエジプト時代にあったかどうかわかりませんが。足が悪くて下腿の発育も非常に悪い。もっと驚くことには、その頃にはエイドがあって、ちゃっと杖をついて歩いています。隣は奥さんでしょうか、子供でしょうか。こういうふうな絵から、少なくとも3500年前にはこの病気があったということですね。
(b) 『世界の文学』という本の中に、ルネッサンスのスペインのフセペ・デ・リベーラ (Jusepe de Ribera) という方が描いた「えび足の少年」という題の絵がありました。1600年頃、今から 400年ぐらい前の絵ですが、内反足です。これは未治療の内反足だと思いますが、足の変形がこの当時から非常に多くて、治療の対象とされて、小児整形学という学問が始まったと考えられます。
( slide No. 8 (a)(b)) (a) これも入院中に見つけたのですが、1700年ぐらいのチェシェールデン (Williams Cheselden) という人の本です。現在はギプス包帯でちょっと矯正して足を真っ直ぐにするということを、週に2回ぐらい交換しながら治していきます。本を読んでいるとおもしろいもので、当時はギプスというものがありませんから、卵と小麦粉を混ぜて、それを包帯に含ませて固めて、それで矯正しなさいという記載があります。非常に苦労されています。
整形外科は小児整形というところから始まって、小児整形でも急速にこの10年間で進歩してきた領域もあれば、ヒポクラテスの時代あるいはエジプトの時代から3000年間変わらない治療法が継続されている領域もあります。もちろん数は減っておりますが、我々のルーツはそこにあります。
ところが、現在は子供が少なくなって、どちらかというとおじいちゃん、おばあちゃんの関節の痛みとか背骨の痛み、広い意味でのリウマチ性疾患が主になってきています。
この会場の方でも関節が痛いという方あるいは腰が痛いという方が結構多くいらっしゃると思います。腰痛というのは非常に普遍的な訴えで、90%以上の人が一度は腰痛というのを感じて過ぎていきます。腰痛を感じずに一生を過ごすという人はいないと思います。我々、二足動物の宿命的なものがあります。そういうものに対して、我々はどこまでのことができるか。先端医療ということですので、そのへんのことをお話ししたいと思います。
( slide No. 9 (a)(b)) まず関節の話をしたいと思います。関節とは皆さんご存じのように、骨と骨のつなぎ目をいいます。(a) 体の中にたくさんの骨があり、関節があります。全身に68個の関節があると言われています。首から上で一番大事な関節は顎ですね。ご飯を食べるために顎が動きます。それから肩があり、肘があり、手があり、もちろん股関節があり、膝があります。
また、それぞれの関節に伴ったそれぞれの病気があります。肩といいますと、皆さんご存じのように肩が痛い、五十肩というのがあります。肘では、僕らが思いつくものでは野球肘というものがあります。子供がボールを投げていて痛くなる野球肘ですね。慢性関節リウマチになると、両方の手首や指の関節が腫れるなど、小さい関節が腫れます。あるいは膝には加齢による変化がありますし、リウマチがあります。通風は親指の付け根ですね。
こういうふうに、いろんな関節にいろんな病気があります。そのへんのことを全部お話しすると、3時間ぐらいかかりますので、膝だけをとってお話ししたいと思います。
(b) 膝のレントゲンを撮りますと、非常に単純な格好をしています。大腿骨(太股の骨)があって、下腿の骨があります。ただこれだけの構造です。もちろんこの隙間にはクッションの役割をしている軟骨があります。こういうふうな非常にシンプルな形ですが、非常に重要な働きをしています。皆さんも痛みがない限りは、そういうことを感じられることはないと思います。
例えば、皆さんは膝を90度に曲げて椅子に座っておられますが、帰るときには重い体を支えて帰るわけですね。膝関節は、曲げることと支えることの非常に相反する仕事をいとも簡単にしてくれています。支えるためには曲がっていてはできませんから、このシンプルな構造なのに、非常に矛盾するような作用を時と場合によって非常にうまくしてくれています。
しかも非常に強い力がかかります、例えば膝関節には。立っているときは体重を支えるだけですが、歩くときは膝を曲げて歩きますから、床からの反力とか反動によって大体体重の3倍くらいの力がかかると言われています。私の体重は90kgですから、大体 200〜300 kgの力が膝に毎日かかっています。
( slide No. 10 (a)(b)) (a) いろいろな計算の方法がありますが、普通に歩いても3.8w、3倍くらいの体重がかかっています。(b) もちろんこういうときには、もっとすごい力がかかっています、踏め締めている場合は。
でも、この人の膝がなぜ痛まないかというと、筋肉があるからですね。特にこの人は非常にいい大腿四頭筋をしています。筋肉は歩くために必要だ、体を前に進めるために必要だとお考えですが、実は力を吸収するためにあるいは衝撃を緩めるために必要なもので、それが一番重要な働きです。
膝が痛くて整形の先生にかかられますと、この四頭筋を鍛えなさい、筋力が落ちているのでサポータをつけて関節を保護するように言われます。あるいは水の中で歩く練習をしましょうと言いますね。水の中で歩くと、この重力が浮力で減りますから、関節にかかる負担が少なくなって、しかも抵抗があるから筋力が鍛えられるということですね。
そういうふうに、筋肉は非常に重要で、筋肉がなければ歩くだけで膝は簡単に脱臼してしまいます。非常にシンプルな構造ですが、痛まないのはまずは筋力があるからです。
( slide No. 11 (a)(b)) もう一つ大事なもの、それは軟骨です。関節の隙間でレントゲンに写っていない部分です。
(a) これは若い方の軟骨で、大腿骨があって膝を前から開いたところです。自分の膝の軟骨なんて見たことないと思いますが、何となく非常にきれいでしょう。もちろん何もない人にはこんなことができません、手術の必要があってしたわけですが。こういうふうにきれいな光沢のある、てかてかしたみずみずしい軟骨があります。これが非常に重要な役割をしています。
(b) 組織でいいますと、上が関節のほうで下が骨側で、厚さ5mmぐらいの軟骨があります。これがショックを吸収するためのクッションとして非常に重要な働きをしてくれています。組織染色で青く染まっているのが核ですが、細胞が非常に少なくて、それ以外のものが多い。これはコラーゲン繊維とプロテオグリカンという特殊な糖タンパクと水からできています。水が非常に多いですね。プロテオグリカンという組織について話しだすと難しいのここでは申しませんが、水を保持する能力があって、水がコラーゲンとプロテオグリカンのネットワークの中を出たり入ったりしながら、水枕のようなクッションの役割をしています。
ところが年齢が進むと、コラーゲンとかプロテオグリカンが傷んできます。合成も悪くなるし、断片化してきます。顔の皺が出てくるのも一緒ですね、あれもコラーゲンでできていますから。
入院して目の手術をしたものですから、片目でしたので、本も読めない。本当にやることがないので、テレビばかり見ていました。野村沙知代がコラーゲンの注入をして皮膚に張りが出てきたとか梅宮アンナと羽賀研二がどうやとか、そういう話題がありましたね。朝からそんな番組ばかり見ていたので、おかげさまで1カ月で非常に詳しくなりましたね。
コラーゲンなどが断片化してくると、皺がよるのと同じように関節も傷んできて、毛羽立ってくるとか亀裂が入るようになります。要するに、クッションとしての役割が年齢的に果たせなくなります。もちろんそこに関節の変形などがあると、それが加速されます。先ほどの澤田教授の話を聞いていて、野村佐知代が皮膚にコラーゲンを注入したように、ここにインターベンショナル・ラジオロジーのような簡単な方法できゅっと入れられたらいいのですが、今のところはそうはいかない。傷んでくると亀裂が入ったり剥離してきたりします。
( slide No. 12 (a)(b)) これが傷んできた膝の中身です。(a) 組織染色をみると、軟骨に亀裂が入って、しかもその下の骨のところが硬くなってきています。軟骨は血管がない組織ですから、一たん傷つくと修復ができない。亀裂が入ると、軟骨細胞が嚢胞化といってたくさん集まって治そうとしているのですが、やはり治せない。
(b) そういうふうな膝を見ますと、こうなっています。前のスライドの写真とは質が全然違いますね。ここには軟骨が残っていますが、それでも粗造化というのですが、クッションとしての役割を果していないような感じがします。しかもここは軟骨が剥げてしまって、ここは骨が露出してしまって、見るからに痛そうです。そして、こういうところに骨の棘(とげ)、骨棘(こつきょく)ができてきます。
こういう状態が変形性膝関節症で、膝が痛くなる代表的な病気です。おじいちゃん、おばあちゃんが膝が痛いと言えば、こういう変化が起きてきているとご理解いただきたいと思います。
( slide No. 13 (a)(b)) (b) 半月板もあるんですが、クッションの役割をしている軟骨がなくなってきて硬くなって、骨が変形してきて、隙間が狭くなります。こちら側は隙間が残っていますが、この患者さんは内側の隙間が狭くなってきています。
(a) もう一つ代表的な病気はリウマチという病気です。リウマチは変形性膝関節症に含まれていると理解されている部分がありますが、これは全然違う病気です。リウマチは軟骨があってそれを包む袋(滑膜)に炎症を起こします。
なぜここが炎症の場になるかわかりませんが、体にある68個の関節すべてがターゲットになる可能性があります。遺伝が関係するとか感染が関係するとかいろいろ言われていますが、今のところわかっていません。
いずれにしても、関節の袋がどんどん増殖して軟骨を溶かす、あるいは骨の中に入り込んできます。関節が脱臼するとか固まってしまうということになります。多発性関節リウマチですから、手の関節だけで済めば非常に機能障害は少ないですし、股関節とか膝が障害を受けると、歩行が困難になります。そういうふうに障害される関節によって違ってきます。
( slide No. 14 (a)(b)) これは膝の術中写真ですが、先ほどの膝と全然違うのがおわかりになるでしょう。これがもともとの軟骨で部分的に残っていますが、軟骨の上にべたっと汚い組織が乗っています。炎症で増殖した肉芽組織がこういうふうに乗って、軟骨を溶かしています。もともとはこのようにあったのですが、この部分は骨が溶けています。こういう形で膝が傷んできます。
( slide No. 15 ) 骨が溶けて、膝が痛みます。
( slide No. 16 (a)(b)) もちろん、そういう変化がいろんな関節に起きれば、日常生活の動作が非常に制限されます。(a) 患者さんのスライドを見せるのは抵抗がありますが、膝が痛む、手も痛む、足首も痛むとなると、歩けません。
この会場にはリウマチの患者さんが何人かいますが、21世紀には必ず治る病気で、我々大工屋(整形外科医)が必要でなくなるかもしれません。原因となる滑膜の増生を抑えるような薬が出てくるかもしれませんし、福原先生が骨髄移植の話をされましたが、そういうことができるようになるかもしれません。全身の滑膜の炎症を抑えるような内科的な方策が必ず出てくると思いますから、私がこのようなスライドを見せたからといって深刻にならないでください。10年、20年、30年後には必ず治る病気だと思います。
ただ今のところは、変形性膝関節症やリウマチを治すためにいろんな薬を使っても、中には痛むケースがあるということです。こうなってしまうと、薬でも装具でも治療できません。そこで大工さんが出てこないといけないわけですね。火事になって(炎症を起こして)燃え上がって、火は消えたけれども焼け跡が残っているという状態になっています。その焼け跡のぼろぼろになった家を建て直すという仕事が必要になってきます。
そのためにセメントや人工関節のような小道具の開発が必要だったわけです。これが我々整形外科医の20世紀の一番の夢でした。先ほど申しましたように象牙を使ったり、ブタの膀胱の壁を使ったとかトナカイの腱を使ったとか、いろんなことがありました。
第二次世界大戦の前ぐらいから金属製が出てきて、金属の人工関節を入れ換えるという技術が進歩したわけです。(b) これは1950年頃の人工関節です。我々の大学でやった大昔の症例ですが、やはりよくなかった。こういうスペーサーを入れて、20年経つと……
( slide No. 17 (a)(b)) ……(a) スペーサーが飛び出してしまいました。これは私が研修医の頃ですから、もう20年ぐらい前のことです。ですから、手術されたのは30年、40年前でしょう。
( slide No. 18 ) あるいは、これは1970年代の人工関節でシアーズといいますが、これも私が入局した頃にはまだ使われていました。このヒンジ型、ドアの開け閉めする蝶番(ちょうつがい)の格好をしています。これは曲げるだけの動きしかしません。
ところが、いろいろ調べてみると、膝の動きはこんなに単純ではありません。膝を伸ばしたときには少し外旋、外へ曲がりながら延びるという動きをしています。こういう単純な一面だけの動きでは、必ず緩んでくるということがわかって……
( slide No. 19 (a)(b)) ……現在は表面だけを換える人工関節になっています。大腿骨、脛骨、中に人工の軟骨があります。手術そのものは非常に簡単で、膝だけでも全国で2万件ぐらいの手術がなされています。開けて悪いところを切ります。
( slide No. 20 (a)(b)) いろんな道具で正確に真っ直ぐに、例えば90度に切るようになっています。
( slide No. 21 (a)(b)) 先ほど私が作っていたセメントでこういうものを入れます。ここにセメントが写っています。このようにして非常にいい成績が得られるようになってきています。
( slide No. 22 (a)(b)) 術前、術後ですが、いろんなところの関節を換えることができるようになっています。股関節、肘、足首、手など、いろいろできます。
( slide No. 23 ) これは指の人工関節ですね。一番信頼性がおけるのは膝と股関節になっています。
21世紀にはロボットが手術をする時代になっているかもしれません。我々が職人芸として正確に骨切りをしているのではだめで、きちんとかちっとロボットがきれいに切って人工物を入れる時代が来るかもしれません。あるいはオーダーメイドの人工関節の時代が来ると思います。
実際にドイツではロボットを使って正確に骨を切って人工物を入れるということが、試みられています。阪大でも少しそのトライがされています。ただオートメーションでもないわけですから、そのへんは問題があると思いますが。
( slide No. 24 (a)(b)) 背骨の下のほう、腰が痛いという方も多いですね。腰を横から見ると、椎体という骨が積み木みたいに重なっています。後ろ側に突起があります。背中を触れるとわかりますね。骨と骨の間にクッションのような椎間板、ここに関節があります。こういう形で腰骨が動いています。レントゲンでは椎間板は写りません。
一つ注目していただきたいのは、最初に申し上げましたように、二足動物の宿命ですが、腰骨はS字カーブをしています。真っ直ぐではないんです。なぜ、崩れやすい積み木のようなカーブができたのかを知っていただきたいと思います。
( slide No. 25 (a)(b)) (a) 我々がお母さんのお腹の中にいるときは、背を丸めていますから、背骨は一つのカーブだけですね。ところが3カ月ぐらい経つと、首をもたげてきます。そのとき首の前への出っ張りができます。1歳になりますと、骨盤を対して体を持ち上げて、二足動物になります。そのときに腰のカーブができます。
ですから、背骨は真っ直ぐな積み木ではなくて、首と腰は前弯、前へ倒れています。そうなりますと、非常に崩れやすい積み木のように腰骨は前へ崩れようとします。そこで、後ろの背筋が支えているし、クッションのような椎間板が崩れないように支えてくれています。そういう意味で、腰痛は二足動物の宿命なんですね。立位歩行をしている以上は、四足になるわけにいかないので、脊柱に負担がかかってきます。
(b) 1歳になって、我々は立った瞬間から椎間板が一途に変成しはじめます。先ほどの膝と同じように。
( slide No. 26 (a)(b)) (a) これは、15万年ぐらい前の我々の先祖、ネアンデルタール人です。我々は猿から進化してきました。非常に好奇心の強い猿が、恐らく森から草原に出てきて、敵を見つけるためか獲物を見つけるためかわかりませんが、立ち上がったと言われています。
他の説では、人間の先祖である猿が昔は水中で生活していたという人がいます。その証拠に、我々の手には水掻きが残っているとか、水の中で生活しているから立ち上がらないと息ができなかったとか、そのためにもともと全身に毛が生えていたけれども、頭だけに日光が当たるから髪の毛だけが残ったとか。あるいは寒い時期があって、氷の上で生活している間に冷たいものだから立ち上がったとか。いろいろ言われています。
いずれにしても、これだけ発達した脳を上に持ってきたことによって、脳がさらに発達し、手も使えるようになりました。四つ足のままだと脳が重くて首が支えきれないので、発達しなかったと思います。立ち上がったために我々は進化できたわけです。もちろんそのために腰痛という宿命的な病気を担ったわけです。
これ以外に、二足動物の宿命的な病気では痔がそうですね、私も悩まされますが。お尻の一番低いところで血液の循環が悪くなるためですね。立っているために血の鬱血(循環が悪くなる)が起こる立ちくらみや、胃下垂という病気もそうかもしれません。
いずれにしても、いくつかの犠牲をしながら我々は二足動物になっているわけですが、脊椎は1歳からどんどん変成していきます。それに対していろんな治療ができるようになっています。詳しく述べる時間がなくなってきましたが。
(b) クッションが変成して飛び出すとか(変形性脊椎症)、積み木が崩れるすべり症、あるいは膝と同じように骨が変成して棘ができるとか、いろんな変化を起こしてきます。そうなりますと、脊椎には神経が通っていますから、椎間板の出っ張りとかすべりとか骨の棘によって神経が押さえられて、足が痺れるとかおしっこが出にくくなるとか、そういう脊椎の病気を起こします。
( slide No. 27 (a)(b)) これはヘルニアですね。椎間板が出てきて神経を押さえます。MRIです。
( slide No. 28 (a)(b)) 脊椎症、説明は省きます。
( slide No. 29 (a)(b)) すべり症。背骨の積み木が崩れるようになります。いずれにしても神経を押さえます。
( slide No. 30 (a)(b)) どこまでのことができるかということを、最後にお話ししたいと思います。
いろんな原因で腰骨の神経が押さえられるという病態が生じて痛い。例えばヘルニアであったり、骨に棘ができることもあります。このような場合、圧迫しているものを削ることができます。それが一つの考え方です。
( slide No. 31 (a)(b)) 骨ができて、神経の通り道が狭くなっているところの骨を一部外して神経を逃がしてやる。これが神経です。
( slide No. 32 (a)(b)) これはちょっと話が違いますが、でき物ができて神経が押さえられています。でき物を除くことによって除圧ができます。
( slide No. 33 (a)(b)) もう一つは積み木が崩れてくるという病態があります。椎間板が傷んでしまうと、積み木が崩れてきて足が痺れます。こういう場合は支えを置いたほうが痛みが取れるだろうということは、皆さんお感じになられると思います。そういうこともできるようになっています。
( slide No. 34 (a)(b)) 後ろの神経を外して、除圧をしてやって、支えてやることもできます。
( slide No. 35 (a)(b)) あるいは曲がっている脊椎を矯正することもできます。これは骨粗鬆症という病気で、椎体が骨折して神経に当たって麻痺が出ている症例です。こういうのは曲がっているから余計当たるので、前から入ります。お腹を開けて椎体に入って、これを取って前方を再建して矯正するということもできるようになっています。
( slide No. 36 (a)(b)) これはご高齢の方ですが、手で受けているのがお腹ですが、傷んでいる背骨をくり抜いて、ここに人工の椎体を入れることもできます。人工の椎体を金属で固定しています。
背骨の話だけでも1時間かかりますので終わりにしますが、背骨の手術は侵襲も大きくて、先ほどの澤田教授に怒られるかもわかりませんが、前から後ろから斜めから背骨に入って、人工の椎体を使ったり金属を使ったりして、除圧する、固定する、整復するという3つの概念をいろいろ組み合わせて、いろんな手術を背骨に対してもできるようになってきています。
21世紀には、もう少し患者さんに優しい脊椎手術ができるようになるかもわかりませんが、今のところ、20世紀の最後を迎えるに当たっては、これぐらいのことができるようになりました。脊椎の話は5分でしてしまいましたので、理解しにくい部分もあったかもわかりませんが、ゆっくりお話しする機会があれば、是非皆さんにもうちょっと理解しやすいようにできればと思います。
( slide No. 37 (a)(b)) ( slide No. 1 (a) 、slide No. 5 (b) 再掲) 最後のスライドです。(a) 250 年前の1741年、ニコラ・アンドレという人が小児を矯正しようということで始まった整形外科ですが、非常に医療が進歩してきたということがご理解いただけたと思います。
きょう、「ここまでできる先端医療」という演題でお話をする機会をいただきましたが、いくら医療が進んでも、例えば人工関節の手術をロボットが正確にするようになったとしても、それが本当に幸せかというと、甚だ疑問を感じます。(b) 400 年前の絵を見ておりますと、決してこの子は不幸だったとは思えないんですね。
そういうふうなことを考えますと、「ここまでできる」というテーマで、こんなこともできる、あんなこともできるという先端のことをお話ししましたが、この先端医療が病気を治すわけでは決してない。医者という人が、患者さんという人の苦しみや辛さを癒すこと、患者さんを苦しみから解き放すということが一番大事です。いくら医療が進んでも、人と人のつながりが一番重要であって、 250年前から今後21世紀もそれだけは変わらないだろうということを是非強調しておきたい。
そういうことを念頭において、患者さんにメリットのある先端的なことが習得できるようにという考えで、これからも医療を続けたいと思います。ありがとうございました。
司 会 本日は、私どもの施設のいわゆるスタープレーヤーと考えられる3人の専門医に話をしていただきました。きょうのお帰りは相当寒くなるそうです。それを先取りして私は風邪をひいておりますが、皆さん方もこれから本格的な秋になって少し静かに物事を考えられる時期になるのではないかと思います。私たちは皆さん方がご健康であればいいのですが、それに少し不具合が生じたときに、夢と可能な限りの可能性を追求するという使命だけは忘れないようにしております。
皆さん方には3つのお話を聞かれた中から、健康あるいは体、それから考えられる日常生活ということを少しお考えいただいて、力いっぱい夕食を食べていただけたらと思います。
きょうは第2回の関西医科大学市民公開講座にたくさんお集まりいただきまして、ありがとうございました。公開講座委員会を代表いたしまして御礼を申し上げますとともに、来年には第3回が開かれることと思いますので、その節はまたお越しいただければと思います。本日はどうもありがとうございました。これで終わらせていただきます。
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