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「犯罪捜査や親子関係におけるDNA鑑定」 赤根 敦(関西医科大学法医学教授) 平成12年(2000年)10月21日(土)14時00分〜15時00分 関西医科大学南館臨床講堂 司会 松田教授(泌尿器科学) |
司 会(松田 公志・関西医科大学泌尿器科学教授) きょうはお二人の先生に講演をしていただきます。まず初めに本学の法医学教授の赤根敦先生にお願いします。赤根先生は島根医科大学を昭和59年にご卒業になられ、本学の教授の中では一番若い教授です。きょうの講演のタイトルは「犯罪捜査や親子関係におけるDNA鑑定」です。途中でわからないところがありましたら、お尋ねいただいてもよろしいですし、最後に質問の時間を設けたいと思います。それでは赤根先生、よろしくお願いします。
赤 根(関西医科大学法医学教授)
( slide No. 1 ) 法医学は一般の人がそうしょっちゅう関与するところではないので、まず法医学が医学の中でどういう位置づけにあるかということを簡単に説明したいと思います。
まず医学を大まかに分類すると、「基礎医学」と呼ばれる群と「臨床医学」と呼ばれる群とそれと「社会医学」と呼ばれる群の3つに分けることができます。
病院に行って受診されるときに内科とか外科に行きますが、それぞれの病気を治療する、個々の患者さんを直接診療する学問が「臨床医学」になります。
「基礎医学」には解剖学、生理学、病理学、その他ありますが、これは体の仕組みとか構造、病気はどうして起こるのかなど、そのような基本的なことを研究する学問です。この基礎医学という土台があって、この臨床医学がうまく動くことになります。要するに基礎医学の知識を患者さんの診察や治療に直接応用することで臨床医学が成り立ちます。基礎医学はいま言いました医学の中の基礎的な内容、臨床医学は患者さんを治すという一般的に考えられている医学の内容です。
それとは別に、「社会医学」は「社会」という言葉が付いているように、患者さん個人を診るのではなくて、むしろ社会全体に働きかける医学の一分野です。
社会医学はさらに大きく衛生学と公衆衛生学と、法医学に分けることができます。衛生学、公衆衛生学は、例えば保健所の仕事を想像していただくとよくわかると思いますが、行政からの健康推進の働きかけ、環境汚染、公害問題、あるいは病気になる前に病気にならないように施策を考える予防医学、そういうふうなことを社会に働きかけて、最終的に市民の健康を高める、病気を予防するということを考える学問です。仕事の内容は違いますが、目的とすることは臨床医学と同様になります。
社会医学の中のもう一つの「法医学」は実は医学の中でもちょっと異端児といいますか、患者さんの健康とは直接関係しない分野です。犯罪事件や事故が起こって人がけがをしたり死亡した場合、それが警察の捜査あるいは裁判になったときに「これは医学的にどういう意味を持つか」という問題点がいろいろな浮かび上がってきます。それに対して医学の知識−−これは臨床医学的な知識も基礎医学的な知識も必要とされますが、そういう知識を応用して裁判官や警察官に助言をするような問題を扱うのが法医学となります。
ですから、これからお話しすることは病気や健康とは直接には関係ないので申し訳ないのですが、医学にはこういう一分野があることを簡単に説明させていただきます。
法医学の仕事の中心は司法解剖で、犯罪や事故の被害者を解剖することによって、死亡原因は何か、凶器は何か、いつ死亡したのか等を判断する仕事が中心になります。今回のお話は解剖の話ではなく、同じように犯罪の捜査に役立つ検査で、最近DNA鑑定が新聞等のマスコミで報道されていますので、そのことについて解説と現在の状況をお話ししたいと思います。
( slide No. 2 ) これは今回のタイトルですが、DNA鑑定は警察では犯罪捜査に、民事では親子鑑定に使われています。そういうものにおいてDNA鑑定がどういうふうになされているかということについてお話ししたいと思います。
( slide No. 3 ) DNAとは何か、聞いたことはあるけれどもよくわからないという方もおられると思います。DNAは英語で正しくは deoxyribonucleic acid、デオキシリボ核酸ですが、略してDNAと言われています。このDNAは遺伝子そのもの、分子です。先ほど学長が説明されたように、人の体は約60兆個の細胞からできていて、顕微鏡でないと見えないような非常に小さい細胞がたくさん集まって作られています。この細胞の中をさらに細かく見ていくと、その中に細胞核と呼ばれるものがあります。その細胞核の中に染色体という構造物があって、実はこの染色体にいろいろな遺伝情報が乗っています。この染色体をさらに分解すると、これから説明するDNAと核タンパク質というタンパク質の一種で構成されています。遺伝子はご存じのとおり親から子へいろいろな遺伝情報を受け継がせるものですね。その遺伝情報はこのDNAという分子の中に刻み込まれています。
( slide No. 4 ) これはDNAの構造の模式図ですが、DNAはある特定のヌクレオチドと呼ばれる分子が鎖のようにずっとつながって延びています。実際に細胞核の中では2本のDNAの鎖がくっついて、本当はらせん状に回転して存在していますが、ここではわかりやすく延ばして描いています。こういう形でヌクレオチドが数珠のようにつながってDNAはできています。
( slide No. 5 )
---------------------------------------------------- DNA構成成分 塩基:A(アデニン) リン酸−デオキシリボース−塩基 T(チミン) C(シトシン) G(グアニン) ---------------------------------------------------- |
ヌクレオチドの塩基には4種類あります。略してA、T、C、Gと呼びますが、アデニン(黄)、チミン(緑)、シトシン(茶)、グアニン(青)を色と形を換えて表しています。この4種類が先ほどのように鎖状に並んでいますが、この塩基がどういう順番に並んでいるか。DNAは遺伝子の本体ですが、4種類の塩基の並び方によってすべての遺伝情報が作られているのがDNAの構造であるし、それが親から子へ遺伝情報がどのように受け継がれているかということの仕組みでもあります。このようにして遺伝情報はDNAの上に刻み込まれます。
( slide No. 6 ) DNAはそういうものであると頭に入れておいてもらって、犯罪捜査とDNA鑑定がどう結びつくか。犯罪捜査は事件が起こると犯人を捕まえていろいろな証拠を集めて裁判に出して有罪か無罪を決めるという過程を取りますが、この犯罪捜査において個人識別が非常に重要になる場合が多いわけです。
「個人識別」とは身元不明の人がいた場合にその人がどこの誰であるかという鑑定ですね。それから犯罪現場にいろんな遺留品が落ちている場合があります。遺留品といっても持ち物である場合もありますが、ここで問題となるのは現場に落ちている血痕や毛髪である場合に、それが誰のものかということが重要になってきます。
例えば被害者の血液かそれとも犯人の血液か。犯人のものであれば犯人を探す手掛かりになります。被害者がどこの誰かわからない場合に、被害者が特定できれば、その人の交遊関係とかトラブルがあるかどうかというところから捜査を進めて、誰が犯人かわかる手掛かりにつながることがあります。犯人の遺留品が落ちていれば、当然、犯人であることを証明する証拠となります。そういう意味で個人識別は非常に重要になります。
犯人が例えば運転免許証や健康保険証を落としてくれれば簡単ですが、そういうものを落としてくれませんので、現場に残っている血の染み、毛髪などを捜し出して、誰かということを調べます。
いろいろな手法で調べられますが、一つの手掛かりとして大きく利用されてきたのは血液型です。ABO式血液型を調べて血液型が違うと、その人は犯人ではないとある程度言えます。そういうわけで血液型が昔からよく使われてきました。ただ血液型の場合、後のスライドで具体的に説明しますが、型の多様性(種類)が少なくて、これは誰々の血液であると断定することが非常に難しかった。
それに対してDNA鑑定はもっと個人差が大きいので、別人ならば違う型になる可能性が高く、該当者(犯人ないし被害者)をもっと絞り込めます。従来調べていた血液型よりもはるかに強力な手法で、犯罪捜査に実際に応用されるようになったのは今から8年ぐらい前からです。
( slide No. 7 ) DNAの構造の話で難しくなりますが、DNAの個人差について、人によってDNAの型が違うというのはどういうところで起こるのかということを説明するスライドです。
DNAの個人差は2つの種類に大きく分けることができます。1つは「単一ヌクレオチド多型(SNPs)」。先ほど言いましたように、ヌクレオチドにはATCGの4種類の塩基があり、それが連なったDNAはATCGのアルファベットで分子構造を表現することができ、またその並び方によって遺伝情報も異なってきます。しかし、誰にでも顔があって目があって口があって手足があるように体の構造はだいたい同じですから、全く別人のDNAの構造を比べてもほとんど同じです。それでも細かく調べていくと、DNA鎖の中で所々違う箇所があって、それが個人識別の根拠になります。これが犯罪捜査の手掛かりとするDNA鑑定になります。
単一ヌクレオチド多型は塩基がいっぱい並んでいる中で、例えばここがAさんではCですがBさんではAになっているように、1個の違いがある。塩基が入れ替わっていることを「置換」と言いますが、その他に「欠失」している場合もあり、そういうことで生じる個人差を単一ヌクレオチド多型と呼びます。これは従来の血液型を遺伝子レベルで調べると同じ原理で生じています。
DNAを電気泳動法で検査した例ですが、塩基が1個置換されているかどうかで、上下2種類のバンド(帯)が現れます。遺伝子は基本的に父親と母親から遺伝されますので、2個一組であることがほとんどです。この場合、この人は長い上のバンドだけ、この人は短い下のバンドだけと、電気泳動法で塩基の違いを位置の違いとしてはっきりと見ることができます。この結果から、この人とこの人は違うと判断することができます。
ただヌクレオチドの塩基が入れ替わって個人差が生じても、実はあまりたくさんの種類に分けることができません。血液型と同じようにせいぜい数種類ぐらいです。この人とこの人は短い下のバンドしかありませんが、この2人は別人なのです。単純な個人差であれば同じ型になってしまって、単一ヌクレオチド多型による識別は大半でできません。
それに対して、警察の犯罪捜査に使われているDNAの個人差は「縦列型反復配列多型」と呼ばれるものです。
-------------------------- MCT118型 A:−−→→→−−− B:−−→→−−−− C:−−→→→→−− -------------------------- |
これは実際の警察の捜査で使われているMCT118型と呼ばれるDNA多型ですが、同じように電気泳動法で流して、長いものは上、短いものは下に出るようにします。5人の全く別人のDNAを見ると、両親からそれぞれDNAをもらっているのでバンドが2本現れますが、高さが違うので1と2は別人になります。当然、2、3、4、5とも別人とわかります。単一ヌクレオチド多型の方法では別人でもたまたま同じ型になって区別ができないときがありますが、縦列型反復配列多型の方法では完全に別人であることが簡単に証明できます。現在の警察の犯罪捜査では縦列型反復配列多型を中心に検査をして個人識別に使っています。
( slide No. 8 ) 血液型との個人識別能力の比較ですが、血液型で一番ポピュラーなのがABO式血液型で、ご存じのように、A型、B型、AB型、O型の4種類に分けることができます。日本人ではA型がおよそ40%(10人に4人)、B型が20%、AB型は10%、O型は30%です。例えば犯罪現場に血痕が落ちていて、その血液型を調べるとA型だった。では「犯人はA型だ。探せ」といっても、最も頻度の大きいA型では10人に4人が偶然一致するので、そこらじゅうにいくらでもいます。したがって、たくさんいる中でABO式血液型だけではなかなか特定できません。
AB型が一番少ないわけですが、それでも10人に1人ぐらいは犯人でなくても偶然一致してしまいます。違う血液型では完全に否定できるので、冤罪を晴らす上ではある程度いいのですが、別人でも偶然一致する可能性が高いので、犯人を絞り込むにはあまり役に立たない。
それ対して、現在警察で使われているMCT118型には14−14型や14−15型などいろいろな種類があって、日本人を 435種類に分けることができます。日本人では24−30型が一番多いのですが、これでも 6.2%、 100人に6人ぐらいは偶然に一致します。24−30型ではAB型とそんなに変わらないのですが、頻度が一番小さい35−35型では0.000081%と、およそ1000万人に8人しか一致しない。同じ型の人がほとんどいないことになります。
大阪府の人口は現在 880万人ぐらいですから、例えば35−35型の人は平均すれば大阪府に7人ぐらいいます。この7人が多いか少ないかは考え方次第ですが、ある特定の犯罪現場に大阪府の7人が偶然集まる確率は非常に小さい。そういう意味では35−35型だという結果が出て、犯罪捜査の上で同じ35−35型の容疑者がいたとすれば、その人が犯人である可能性は非常に高くなります。
このように、従来使っていた血液型ではあまりはっきりしたことが言えなったのが、DNA鑑定を応用することによって、かなり特定できるようになります。ことしの7月に、最高裁判所でもDNA鑑定は証拠能力があると認められました。これは犯人を特定するのに強力な手法であり、同時に濡れ衣を着せられた冤罪の方の濡れ衣を晴らすのにも役に立ちます。実際に警察の捜査中に、DNA鑑定によって容疑が晴れた人もいます。このDNA鑑定は現在の犯罪捜査に欠くことができない手段になっています。
( slide No. 9 ) 警察が捜査するような犯罪事件のDNA鑑定は、警察庁にある科学警察研究所(科警研)と各都道府県警にある科学捜査研究所(科捜研)でほとんどやっています。全国の医学部の法医学教室ではDNA鑑定を研究したり応用について検討したりしています。初期の頃は法医学教室でもいろいろお手伝いしたこともありますが、現在では直接には関与していません。ほとんどの検査は科警研や科捜研でしています。
法医学教室が事件でDNA鑑定を行うのは、数は多くないのですが、(1) 司法解剖の際に身元がわからないので、それを確認するために行う場合がまれにあります。それから(2) 警察だから変なことをしているのではないかと疑って、警察の鑑定を確認するあるいは再鑑定するために依頼される場合もあります。それと(3) 特殊な遺伝子検査。
警察の研究所の検査法は大体どこでも、同じ種類の試料なら同じ手法で検査をするように規格が統一されていますが、その規格に合わない遺伝子検査が犯罪捜査で必要になる場合は、警察は大学の法医学教室に依頼してくることがあります。例えば、日本人にはほとんど存在しないような特殊な血液型を持っている人の場合、それが本当にその人の血液型かどうかを確認するために遺伝子レベルの検査を行っています。
後でお話しする親子鑑定は、ほとんど犯罪捜査ではなくて、いわゆる民事事件ですね。民間の人が家族関係を細かく調べるために親子鑑定をやることがあります。民事的なものになると警察は全く関与しないので、法医学教室で血液型鑑定を含めたDNA鑑定で親子鑑定をします。最近では民間業者で親子鑑定をやるところもできています。
( slide No. 10 ) これは実際に大阪府警が扱った事件で、うちの法医学教室に検査の依頼がきました。これは殺人事件ではなくて単なる傷害事件ですが、大阪府の路上でペルー国籍の人がけんかをして、一人がもう一人をナイフで刺した事件です。
被害者の着衣にわかりにくいのですが、血痕がべったりと付いています。こちらは事件現場で押収された凶器と考えられるナイフで、これにも血痕が付いています。これらは警察官が現場に行ってこういうものを証拠として押収したのであって、これが凶器であることはまず間違いないのですが、やはり一応きちんと確認するために、凶器に付着した血痕の血液型などをきちんと調べるようにしています。
( slide No. 11 )
---------------------------- 血清学的検査結果 シャツ血痕 AB型 ナイフ血痕 B型 吸着試験(唾液) AB型 ---------------------------- |
( slide No. 12 )
------------------------------------ 血液型検査2(被凝集価試験) 抗血清希釈倍数 8 倍 128倍 被害者 抗A血清 ± − 抗B血清 + + 対照 抗A血清 + + 抗B血清 + + ------------------------------------ |
血清学的試験からナイフに付いていた血はB型と判定されましたが、それは本当は被害者のAB型の血液で、たまたま血液が薄まったためにBしか出なくて、B型と誤判定されたのではないかと考えられました。そこで、被害者の血液について遺伝子レベルで違う種類の血液型ではないかというのを調べるために、うちに検査依頼されたものです。
( slide No. 13 ) 結論から申しますと、普通のAB型のAはA1 型ですが、被害者のペルー人のAはA1 型ではなくてA2 型だとわかります。これはDNAの構造を調べたものですが、電気泳動の結果を並べてみると、こちらはずれていないんですが、こちらは1個ずつずれているんですね。
A型の遺伝子とB型の遺伝子を調べると、A型の遺伝子で正常のA型と違って、DNAのヌクレオチドが1個欠失して1個ずれています。それによって、この人の血液型はAB型ではあるのですが、A2 型とB型を持っている特殊な血液型(ABO Genotype A2B型)であるとがわかりました。
B型と出たナイフに付着していた血痕についても遺伝子レベルで調べてみると、同じように一致し、矛盾点が解決されたという事件で、このような事件で我々法医学教室が手助けすることもあります。
( slide No. 14 ) 次に親子鑑定(Parentage test)の話に移ります。親子鑑定は次のスライドでも説明しますが、原理について簡単に説明します。メンデルが発見した遺伝の法則を応用します。父親と母親の染色体の絵ですが、遺伝子とお考えください。お父さんは紫色と緑色の遺伝子、お母さんは黄色と水色の遺伝子を持っているときに、その間にできた子供は必ずお母さんから1個の遺伝子、お父さんから1個の遺伝子をもらいますね。この絵では緑色と黄色で、一致します。
親子鑑定をする場合に、通常本当の父親かどうか疑われる場合がほとんどですが、まず子供と母親の遺伝子を比較して、黄色と黄色がまず一致します。本当の父親からきた遺伝子は緑色の遺伝子ですから、父親かどうかわからない男性の遺伝子が緑色の遺伝子を持っていれば、それは父親であって矛盾がない。持っていなければ親子ではないということが言えます。そういうことを利用して親子鑑定をします。
( slide No. 15 ) 親子鑑定は大部分が「認知請求事件」と「嫡出子否認請求事件」と呼ばれる2種類に分けられます。「認知請求事件」は結婚していない男女間に生まれた子供に対して相手の男性に認知してもらうように求める民事事件です。「嫡出子否認請求事件」は夫婦間に子供ができても、父親(夫)が「自分の子供ではない。浮気した」ということを訴えて、親子鑑定を要求するような場合です。
一応、我々法医学教室で親子鑑定をやる場合がありますが、そういう鑑定は家庭裁判所で裁判になっている場合に裁判官から依頼されて受けるのを基本にしています。そうでない場合は弁護士さんを通して受けます。個人からの親子鑑定の依頼は直接には受け付けないことを原則にしています。
これは後で詳しく説明しますが、要するに親子であることが証明されなかったり否定されなかったりすると、それが単なる親子の人間関係だけでなく、財産問題など大事件に波及することがあるので、我々は必ず法律の関係者からの依頼しか受け付けないようにしています。
親子について鑑定すると決まると、当事者から血液等を採取して、今ではDNA多型を含めて血液型の検査します。
(1) 父親と子供の型を比較して、血液型とかDNA鑑定で複数の否定的な結果(遺伝の法則に合わない結果)が出れば、親子関係は否定されます。
(2) 血液型やDNA多型で1種類しか否定されない場合、1種類の血液型で突然変異が起こる可能性は0ないし非常に小さいのですが、たまたま血液型に突然変異が起こっていて本当の親子なのに型が合わないということも考えらまれす。1種類の場合は判定を保留して、さらに検査項目を追加して否定されるかされないかを調べます。
2種類以上の血液型やDNA型で否定された場合、突然変移が複数の血液型で同時に起こる可能性はまず0と考えられますから、完全に親子関係は否定できます。
(3) 何種類調べても全く否定されない場合、本当の親子であることが考えられます。その場合は「父権肯定確率」を計算します。計算方法は複雑ですが、要するに何型が大阪府に何人という確率を計算式に取り込んで、「この父親が本当の父親である可能性は何%か」という確率を算出します。99.8%以上であれば父親と判断できるという評価を我々はします。
( slide No. 16 )
-------------------------------------- 血液型とDNA鑑定の親子鑑別能力の差 (父権否定確率) ABO式血液型 19.2% 血液型10種類 75.6% MCT118 型 77.5% -------------------------------------- |
先ほどのABO式血液型を普通に調べると、平均して19.2%しか「本当の父親でない人を父ではない」と断定できない。10人のうち8人はABO式血液型を調べるだけでは無実の罪は免れないということになります。
当然、親子鑑定は1種類の血液型だけを調べることはなくて、たくさんの血液型とかDNA鑑定を組み合わせて判定していきます。比較的よく使われる血液型は10種類あって、みんな赤血球の型です、ABO、MNSs、Rh、Kidd、 Lewis、Dombrock、 Duffy、P、 Diego、Se。聞いたことがない血液型があると思いますが、この他にも何十種類とあります。親子鑑定をするときには、我々は一つ一つ検査していきます。
この血液型10種類を調べた場合、赤の他人を父でないと否定できる確率は75.6%。10種類でやっと75.6%になります。10人調べると2、3人くらいは無実の罪を免れない。本当の父親ではないけれども、血液型が一致してしまうことが起こりうるわけです。
警察の捜査で使っているMCT118型と呼ばれるDNA鑑定では平均して、一つ検査をするだけで77.5%ですね。血液型10種類よりも効率よく、「本当の父親でない」と否定できます。当然、1種類で判定するわけではありません。同じようなDNA鑑定を5、6種類調べると99.999……%に達して、赤の他人は父親でないと否定することができます。逆にDNA鑑定で父親であるという結果が出れば、本当の父親である可能性が非常に高い。
昔は血液型を30種類、40種類も調べてやっていたのですが、現在ではDNA鑑定を5、6種類やるだけで同じような結果が出るようになって、非常に効率よく判定できるようになっているのが実情です。
( slide No. 17 ) 実際の親子鑑定で、男性が父親でないと否定された例です。赤く塗っているのが否定的な結果が得られた検査項目です。
例えばABO式とかRh式などの赤血球の型だけでは男性が父親でないと否定することはできません。HLA(ヒト白血球抗原)の型も含めて13種類を調べて父親でないと否定できたのが3種類。DNA鑑定の場合、これは先ほどのとは種類が違いますが、3種類調べて3種類とも否定することができました。
電気泳動法でバンドの上下の位置関係で同じ遺伝子かどうかを見るわけですが、母親はこことここにバンドがあります。子供はこことここにバンドがあって、同じ高さにあるものが母親から子供に遺伝された遺伝子になります。これが父親から子供に伝わったもう一つの遺伝子になりますが、この事件では、父親かどうか疑われた男性の遺伝子は位置がずれているので、違う遺伝子でありこの男性は父親でないと、これだけで言えます。こういう結果が何種類も得られたので、この男性は父親ではないと判定されました。
( slide No. 18 ) 肯定例の場合はもっとたくさんやります。DNA鑑定でも子供が持っている2つの遺伝子のうち、こちらが母親と一致するバンドで、もう一つは父親かどうかわからない男性と同じところにあるので、遺伝子的に矛盾はない。そういう結果が4種類のDNA鑑定を含めて27種類の血液型でも否定されなかった。父権肯定確率は99.99992%で、父親と断定してもよい結果が得られています(通常99.8%以上で父親と断定)。これは本当の父親であると証明された例です。
こういうふうにしてやっていますが、やはりDNA鑑定を使うと非常に効率よく進めることができます。
( slide No. 19 )
-------------------------------------------------- 親子鑑定をする上での注意点 1.検査対象者の同意の有無の確認 2.試料の由来の確認(本人から採取した試料か否か) 3.確実な検査、熟練者が行う A.親子鑑定を行う民間業者 検査はアメリカの企業で行う B.法医学教室の親子鑑定 個人からの直接の依頼は受け付けない -------------------------------------------------- |
それから、「うちの子供と妻(夫)の試料を調べてほしい」と、試料だけを持ってきた場合、(2) その試料の由来が本当にその人から採取されたものかどうかわからないという場合もあります。それが確認されていないと、どんな結果が出てもそれ自体意味のないものになります。
それからもう一つは(3) 熟練者が確実に行っているかどうか。
こういう点が非常に重要です。
ところが、先ほど言いましたように、ここ数年前から(A) 会社組織で親子鑑定を行う民間業者が日本でも10社以上もできています。これらの会社は試料を受け付けるだけで、検査は提携しているアメリカの企業で行って、検査結果だけを返すものです。DNAは口腔内の粘膜からでも十分に調べられるので、そういう会社の幾つかは依頼者に「口の中を拭って採った試料を(勝手に)送るように」と、相手の同意があるかどうか、試料の由来の確認など、深く考慮しないで検査依頼を受け付けています。その点、法的なあるいは倫理的な問題の生じる危険性が最近大変危惧され、禁止することがなかなかできないので問題となっています。
大学の法医学教室はどこでも(B) 個人からの直接の依頼は原則として受け付けていません。弁護士か裁判所からの依頼を受け取って、本人の同意を確認して、本人から直接試料を採取するようにしてやってきています。
( slide No. 20 ) 日本法医学会では昨年「親子鑑定についての指針(1999)」を作成しました。親子鑑定は家族の血縁関係を調べるわけですから、「……本人だけでなく家族の遺伝情報にも触れ、鑑定結果が家族関係に大きな影響をおよぼすため、個人や家族の福祉を重んじ、生じる害を最低限にする。特に小児の福祉に最大限の注意を払う」ということを明記しています。
(1) 試料を採取したときの記録をしっかりする、(2) 同意を確認する、(3) 熟練者が検査をする、(4) 鑑定結果は絶対に第三者には漏らさない。検査試料は再鑑定の可能性もあるので一応保管していますが、鑑定終了後、検査試料はそれ以外の目的に使用されないようにきちんと管理し、(5) 適当な時期に廃棄処理する。指針ではこのように具体的に記しています。
これは単に学会が発表した指針なので法的な強制力はないのですが、親子鑑定をやっている民間業者にもこれを留意してやっていただくことを望んでおりますし、民間業者の中でも法医学会の指針に則って検査をするようになっているところも出てきているようです。いずれにしても単に検査をするだけではなくて、いろいろな問題を含んでいるので、法的倫理的な配慮が必要になります。
犯罪捜査と親子鑑定においてDNA鑑定がどういうふうに使われているか、どれだけ有効な手段であるかというのを簡単にお話ししました。どうもご清聴ありがとうございました。
司 会 赤根先生、どうもありがとうございました。DNAはどういうものか、個人識別、親子鑑定にDNAがどういうふうに利用されているのか、鑑定の注意点、問題点についてお話をしていただきました。これから新聞、テレビ、映画などをごらんになるときには、これまで以上に深くあるいは楽しめるように、よく理解していただけたのではないかと思います。
質問1 何らかの理由で大量の輸血をされた方の血液はDNA鑑定に影響されないのでしょうか。
赤 根 輸血された方のDNAが変化するかどうかですね。それは基本的にはありません。病原体を含んでいる血液が輸血されれば別ですが、輸血された血液はある程度体の中で血液として使われた後、1年も経たないうちに分解されてしまいますので、遺伝子自体には影響はありません。
質問2 DNA鑑定は古代史の分野で、古墳から発掘されたものでも可能でしょうか。
赤 根 遺体や血痕が放置して腐ってくるとDNAもどんどん分解していきますが、たまたま非常によい保存条件のところに試料が置かれていたら、数百年とか数千年前のDNAが全部でなくても一部が残っていれば、検査することが可能になります。
質問(続) そうするとロマンのような話ですが、古代の天皇と皇子との鑑定とかエジプトのミイラの鑑定に役立つのでしょうか。
赤 根 あり得ることですね。実際に例えば縄文人の遺伝子を検査した結果とか、ロシアのロマノフ王朝の皇帝一族で行方不明になっている人がいて、該当者らしい人の遺骨からDNAを採取して、その人であるとか違うとか調べた報告はあります。
田 代 縄文人と弥生人についてミトコンドリアのDNAを分析したデータが最近出ています。日本人ですと、渡来人の血が2、昔からの縄文人の血が1というのが大体のコンセンサスになっているのではないかと思います。特に大阪とか北九州では渡来人の血が多いようです。
司 会 歴史小説あるいは推理小説がますますおもしろくなる講座になってまいりました。
質問3 MCT118型によるDNA鑑定では、24−30型の頻度が最大で、 100人に6人と言われていました。たまたまそれに当たった人はかなり「犯人ではないか」と見られるのではないかと思います。私自身は最大のものでももっと低いと思っていました。
赤 根 そうですね。ただDNAの1種類の検査だけですべてを判断するわけではありません。当然、足取りとかアリバイも調べますし、その他の血液型とかDNAでも1種類ではなくて何種類も調べますから、やはり関係ない人はだいたい排除されていきます。そういう意味では、たまたまこれだけが合ったから犯人だと決めつけられることはあり得ません。むしろ現在の犯罪捜査は証拠中心主義ですから、どんなに疑わしい人でも確たる証拠がないとだめですね。このDNA鑑定も一つの証拠ですが、やはり何人かは同じ型の人がいるという前提の上での証拠ですから、冤罪をかけられるということは気にされることはないと思います。
質問4 Case by caseだと思いますが、1鑑定にどれくらいの時間を要しますか。
赤 根 最近はDNAを取ってPCRという検査法でやりますので、早ければ1日以内で出ることもあります。ただ犯罪捜査では試料も非常に微量ということもありますので、慎重に何回も確認の検査をします。普通は数日からひと月ぐらいかけることもあります。
司 会 活発なご質問をありがとうございました。市民講座の第1回目の赤根先生の講座を終了いたします。ありがとうございました。
この講演記録は、ボランティアの方が録音から起こした筆記録のディジタルファイルをもとに作成されたものです。
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