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関西医科大学第4回市民連続公開講座
「遺伝子解明で病気は治せるか?」
黒崎 知博(関西医科大学分子遺伝学教授)
平成13年(2001年)10月20日(土)
関西医科大学南館臨床講堂
司会 松田教授(泌尿器科学)
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司 会(松田 公志・関西医科大学泌尿器科学教授)   それでは最初のご講演を黒崎教授にお願いしたいと思います。黒崎先生のプロフィールはプログラムの右欄にありますので、ごらんください。

 医学の中では多分一番細かいものを相手にしていると思います。私は腎臓や膀胱という臓器でわかりやすいのですが、目に見えない細かいものを使って病気を解明されているということになろうかと思います。最後に質疑応答の時間を設けますので、どんなことを聞いてやろうかと考えながら聞いていただくとよろしいかと思います。では黒崎先生、よろしくお願いします。

黒 崎(関西医科大学分子遺伝学教授)  
  皆さん、初めまして。最初に、実はきょうのこの機会を非常に楽しみにしてきました。

 私は5年前にこの大学に就職させていただきましたが、その前の7年間、ずっとアメリカにいました。アメリカの現場で感じていたことと日本に帰ってきて非常にショックに感じていることを少しお話ししたいと思います。

 日本に帰ってきて、第1にサイエンス、特に医学に関するサイエンスをやっていこうあるいはやらないといけないという盛り上がりが、やはりアメリカより少ないのではないかということを非常にショックに感じております。一つの大きな問題点は私を含めた研究者の側に半分の責任があると思っていますが、我々が今何をやっていて、やっていることを皆さんに理解してもらう機会が少ない。松田教授からご紹介のように、我々は細かいことばかりやっておりますので、専門ばかだと思われがちですが、決してそうではない。最終的には何とか皆さんの病気をできれば早期発見して治したいという意欲のもとに我々は細かい研究をやっていることが伝えられていないのではないか。

 もう一つは、ここに来ておられる方には恐らく関係ないと思いますが、はっきり言って一般の方は医療を含めたサイエンスに対して非常に無関心です。アメリカではこういう会が1カ月に1回くらいの頻度で開催されていて、例えば少しワインを飲みながらも皆さんと活発にディスカッションをします。そういうことをしながら、一般の方は我々がやっていることについて批判すべきことは批判して、いい意味で評価してくださいます。そういうものが少なくとも僕には感じられません。

 そういうムードの沈滞は、僕は端的に理科離れに表れていると思います。正直言いまして、学長を初めとして我々は学生さんを一生懸命教えておりますが、本当にこのまま行って大丈夫なんだろうか。僕は日本の将来に対して非常にペシミスティックです。私自身も何とかここで踏ん張って頑張らないといけないと思っていますし、皆さんからも「頑張っているではないか。積極的に応援してやろう」、「一生懸命やっているから盛り上げてやろう」という気分的な応援がいただければ、我々はもっといいものを作れるのではないかと思っています。

 そういう意味で、このような機会をできるだけ利用して、細かいことよりもむしろ我々はこういうことを考えているということをお話しして、皆さんにはできれば批判しながら理解していただきたい。

 第2は実はもっとショックなことです。立花隆という非常に有名なサイエンスの批判家かいます。彼は今の日本政府の科学に関する政策についてアドバイスする立場にいますが、彼の統計によれば、日本ほど遺伝子やDNAをわかっていない人が多い先進国はありません。もちろん統計の取り方にもよりますが、アメリカ人では普通の一般知識人のだいたい20〜30%の方はかなり正しい回答されます。そしてイギリス、フランスが続きます。最も驚愕するデータは、先進国の中では日本が一番低く、しかもアメリカの数字の1/10になっています。全く教育が一般的になされていないということは、将来、非常に大きな問題になってきます。できればきょうお話しするさわりだけでもわかって、積極的に興味を持っていただくのが非常に重要だと思います。

 できればこの会の最後には、遺伝子とはこういうものか、遺伝子の研究は地味だけど大事だということがわかっていただければ、非常にありがたい。

 きょうは3つのパートに分けて話をします。1つ目のパートは実際にテレビ等でご存じかと思いますが、遺伝子治療について。遺伝子治療はその名のとおりで遺伝子を用いて治療する方法ですが、それが日本の大学でも少しずつやられていますし、アメリカでも非常にやられています。その実態はどういうことか、成功例はあるのかないのか、その治療の根本をなす考え方は何かということを少し話します。

 2番目は、その遺伝子治療の理屈が分かるためは当然ながら少し基礎知識が要ります。大した知識ではないのですが、その知識について話をします。

 最後に、我々の研究チームでいろいろと研究をやっておりますが、それは何を目指して、将来的にどういうことを狙ってやっているか、できるだけ頑張ってわかりやすくしゃべりたいと思います。

 まず遺伝子治療の現実をテレビ録画ですがごらんください。(括弧内は黒崎先生の解説)

( video ) ナレーター:新しい治療法も次々と開発されようとしています。(これは今の日本の遺伝子治療を非常に重点的に研究している施設です:東大医科学研究所) 今、研究者たちは癌細胞に p53遺伝子を送り込もうとしています。これはカゼの原因にもなるアデノウィルスに p53遺伝子を組み込んだものです。このウィルスをヒトの脳腫瘍の細胞にかけ、感染させてみます。このアデノウィルスは細胞の中で p53タンパク質をつくり出す力があります。(これは非常にドラマティックに進んでいきます。今、ヒトの脳腫瘍の細胞は活発に生きています)

 1日後、細胞が急速に縮みはじめます。(どんどん shrink していきます) 細胞自殺、アポトーシスが始まったのです。(あの液を細胞にかけただけなんですね)

 癌細胞に大量に送り込まれたウィルスは p53タンパク質をつくり出し、(こういうところにウィルスが入っていきます) この癌細胞にアポトーシスを起こさせます。

 3日後、癌細胞は遺伝子を中に閉じ込めたまま死んでしまいます。(これで腫瘍がなくなります)

 今、p53 を利用した遺伝子治療が実用化されようとしています。(これもかなりドラマティックです) テキサス州ヒューストンにあるバイオテクノロジーの会社です。(contamination(汚染、夾雑) があるといけないので) ここでは治療に使うための p53遺伝子を組み込んだアデノウィルスが作られています。(宇宙服のような服を着て非常に contaminationのない施設で p53のウィルスを創製します。ウィルス粒子をここにぽとぽと入れます) 遺伝子治療に必要な特殊な細胞は高い品質が求められるため、その製造の過程はほとんどが企業秘密です。

 (この方は陽気なおじいさんですが) 40年以上開業医として働いていたジェイコブ・コールドさん。一昨年の12月、進行した肺癌と宣告されました。(これには治療法がないんですね) 他の治療では効果がないと診断され、すぐに p53を使った遺伝子治療を受けたのです。

 遺伝子治療を受けて3カ月後、ジェイコブさんの治療の効果を見るための検査の日です。(ここが肺癌のところです) この治療法は p53遺伝子を組み込んだアデノウィルスを直接長い針を使って肺の癌細胞に注射します。(奥のところに肺癌の細胞があります。これが p53を入れたウィルスです)

 ジェイコブさんは2カ月の間に3回、この遺伝子治療を受けました。

 ジェイコブさんの癌は治療前には直径8cmに達していました。(ここですね)

 治療前のジェイコブさんの肺の様子です。3カ月後、癌は直径3cmまで小さくなっていました。(ここの癌がこれだけになりました) しかも空気の通り道が開き、へこんでいた肺の一部も元通りになっていました。 p53遺伝子が癌細胞を自殺させたのです。

ジェイコブ「本当にこんなに効き目があるんだったら、遺伝子治療はなかなかいいね。痛い思いをしたかいがあったよ」

妻 「彼に家の仕事をやらせて、私はショッピングに行くつもりです」

ジェイコブ「扇風機の修理だろう、芝刈りだろ、車も洗わなくてはいけない。女房の仕事もさせられるんだ」

妻 「そのとおりよ」(ビデオ終了)

結局、この遺伝子治療をやって一番得したのはこの奥さんだということですが。今の治療がなぜ有効かということを少しスライドを示しながら説明したいと思います。これはうまくいった例で、すべてではありませんが、こういう例に我々は非常に勇気づけられて仕事をしています。

( OHP No. 1 ) 最初にお見せした脳腫瘍の細胞およびその次の肺癌の細胞を我々は癌細胞と言っています。細胞分裂は少し難しい概念ですが、

→M→G1(準備期)→S(DNA合成期)→G2(第二間期)→M(分裂期)→……

のサイクルがくるくる回ってふえていきます。この輪っか(G1→M)が1回ぐるっとまわると、1個の細胞が2個になります。これを細胞分裂と言いますが、細胞分裂をするからどんどんふえていきます。

 我々の体の細胞はいつもこの輪っかがくるくる回って分裂しているかというと、実は回っていません。肝臓の細胞に限らず多くの細胞はこのG1 (準備期)のところでぐっとブレーキがかかっています。このブレーキは非常に大事で、例えば限局性肝癌の患者さんから癌組織を摘出しても、肝臓はもとの大きさまできちんと戻ってくれます。普通の肝臓の細胞ではG1 でブレーキがかかって細胞分裂(細胞増殖)が起こらないようになっていますが、そこに機械的ショック等がかかると、このサイクルがくるっと回ります。そうすると1個の細胞が2個の細胞になります。そして摘出した分を補う大きさだけふえると再びブレーキがかかってきます。すなわち、普通の我々の細胞は細胞によりますが、細胞分裂はそんなに頻回に起こっていないことが多いんです。

 ところが、癌細胞ではこのG1 のブレーキがかからないので、この細胞分裂のサイクルがくるくる回ってしまって、どんどん細胞が増殖して、なおかつ変な細胞になって皆さん苦しまれる。私も苦しむかもしれません。

 すなわちG1 からSにいくときに遮断機があって、遮断機が車(細胞)に止まりなさいという働きをしています。この遮断機が外れると車は進んでしまいます。先ほどの肺癌の患者さんの癌細胞には遮断機に相当する p53がないので、サイクルがどんどん進んでしまいます。

( OHP No. 2 ) 「その遮断機を肺癌の中に戻してやれば、癌細胞の増殖は止まる」という理屈を口で言うのは非常に簡単なんですが、結構難しい。遮断機が実際に細胞の中にあるわけではないのですが、遮断機の機能をするタンパク質(p53 タンパク質)ができてくると、Sに行きなさいというサイクリン cyclin を阻害してブレーキをかけます。逆に言えばサイクリンを阻害しなければ遮断機が降りてこないので、どんどん進みます。ですからあの肺癌には確実にこの p53がない。我々サイドの理論では、p53を導入してやれば確実に正常に戻ってくるという予測がもはや可能です。

( OHP No. 3 ) ところがこれが難しい。遮断機に相当するタンパク質を入れるというのが一筋縄ではいかない。遺伝子とタンパク質の関係は何年も前からわかっていて、p53 というタンパク質も基本的に p53をコードしている遺伝子からできてきます。遺伝子は設計図にも例えられますが、この原理を利用して p53遺伝子のない細胞の中にその遺伝子を入れると、細胞はいろいろな過程を経てきちんと遺伝子設計図どおりの p53タンパク質をつくり出します。それにはこの原理を利用します。非常に大事なことは

あの肺癌の細胞には p53の遺伝子がないので、このタンパクもありません。そういう患者さんにどういう治療をすればいいか。1つの理屈はこのタンパク質を直接この細胞にまぶしてタンパク質を中に入れる方法です。これは絶対に理屈では成功します。しかしながら、我々はタンパク質を外から細胞の内側に入れるいい手段を持ちえていません。

だから我々は遺伝子を採ってきて、この遺伝子を何とかうまく肺癌細胞の中に入れ込んでやれば、癌細胞自身がこの過程にしたがって最終的に p53タンパク質を作ってきます。そして遮断機ができて癌細胞が消滅することになります。

( OHP No. 4 ) 遺伝子を入れるのにどうするか。これは皆さんもよく考えるとわかることですが、我々が風邪を引くというのは、ウィルスの遺伝子が我々の上皮細胞に入ってくるからです。実はウィルスは例えば人間に風邪を起こさせる悪い遺伝子を持っていますが、その悪い遺伝子を我々の方法によって p53遺伝子にすり変えます。そうすると、まさにこの風邪ウィルスは、本来なら風邪を起こすための遺伝子を持って入ってこの細胞を潰すのですが、ここにうまく細工をして p53を入れているので、癌細胞にちゃんと吸着して遺伝子を中に送り込んで、この過程を経て最終的に p53タンパク質という遺伝子産物を細胞の中にうまく trap してくれます。

ビデオで見たあの白い魔法のような溶液はこの p53遺伝子をちゃんと取り込んだウィルスで、しかもそのウィルスは決して我々に風邪を起こさないし、決して癌を起こさない、確実に保障のあるウィルスを用いています。p53 のない細胞に p53をちゃんと導入できるように細工したウィルスを使うと、p53 遺伝子が入ってきますから、最初のビデオのように脳腫瘍の細胞もどんどん shrink してきます。

この方法が非常にいいと頭の中で思えるのは、p53 は絶対にいいもので絶対に悪いことをしない、したがって副作用がないということにあります。仮に正常細胞にこの p53を入っても多少の機能低下が起こるかもしれませんが、理屈の上では全く悪いことは起こしません。

問題は基本的に癌細胞を片っ端から潰す必要があります。この治療法はある程度痛いのですが、例えば1週間とか2週間に1回、根治するまで粘り強くやれば、悪い癌細胞はほぼやられて、いい細胞はほとんど影響を受けずに残りますので、患者さんは息もできるし仕事にも復帰できます。そのようなことが起こっています。

このように癌細胞を退治するために、癌細胞にはない p53遺伝子(タンパク質)が見つけ出されて、実際にその遺伝子治療の効果が認められてきています。今の我々の大きな狙いの一つは、p53 のように、例えば何らかの機能がなくなったときに、その機能を付加する善玉の遺伝子を見つけて、その機能がなくなった患者さんに善玉遺伝子を導入することによってちゃんと治療効果が期待できるかどうか検証して、できるなら遺伝子治療に結び付けたいということです。

( OHP No. 5 ) 第2のパートでは遺伝子からどうやって我々の体ができているのかお示ししたいと思います。レジュメにもありますが、基本的には非常に簡単です。体の中の肺、肝臓、腸などの臓器の細胞をみると、実は臓器によって細胞の形が相当違います。どうしてこういうふうに形が違ってくるのかというのは非常に重要な研究課題です。

 そして個々の細胞を見れば、細胞の中に核があって、細胞質と区切られています。このような細胞が何十万と集団化して臓器を形成します。例えば腸でもこの細胞とこの細胞では形が相当違いますが、基本的には核があって細胞質があって細胞集団から成り立っています。

( OHP No. 6 ) 皆さんの細胞でも私の細胞でも、一つの細胞を顕微鏡で細かく見れば、このように細かく illustratedには見えませんが、核と細胞質があります。そして遺伝子は核の奥まったところに入っています。例えばUV(紫外線)に当たると傷がついて、その傷のために子孫に悪い影響を残すことがありますので、恐らく遺伝子そのものに傷がつくのを防ぐために奥まったところにあると思います。医者もX線照射の危険性がありますが。

これを解きほぐしてみると、こういうふうに糸の絡まったような形になっています。これをさらにどんどんと伸ばしていくと最後はクロマチンと言って、遺伝子の実態はDNAの double strand(二重らせん)になっています。これは1950年代のワトソンとクリックの大発見です。

( OHP No. 7 ) このDNAをもう少し解析してみると、DNAの double strandがいくつか重合したものが一つのタンパク質をコードする遺伝子になっています。AGCTという相補的な塩基があり、こういうふうな構造になっています。実はこの遺伝子は単なる設計図だけであって、遺伝子があるからといって、我々の細胞ができるわけでは全くありません。実際に細胞ができるためには、家に柱や瓦が必要なように、それに相当する設計図どおりにできたタンパク質があってこそ細胞となります。

( OHP No. 3 ) 設計図(遺伝子)が細胞の核の奥まったところにあります。ヒトゲノムプロジェクトは終わりましたが、当初、遺伝子は3万個と言われていましたが、現在は約5万個ぐらいではないかと言われています。5万種類の異なった遺伝子があって、その一つ一つの遺伝子(設計図)に従ってタンパク質を合成します。p53 もその一例です。私も含めて皆さん方は p53をコードする正常な遺伝子を恐らく確実に持っていて、p53 というタンパク質をつくり出しています。これが基本的に遮断機の役割を果して、行き過ぎないように、細胞がふえすぎないように制御しています。

p53 の例で十分お分かりいただけますように、正常な状態と違う遺伝子を見つけて、それは悪い遺伝子かいい遺伝子かを識別して、それを臨床に応用できないか。それが我々のやりたいことになります。大きく遺伝子の全体像を見ると、決して変わっているようには見えませんが、お父さんと子供さんの顔が似ているのと同じように、細かいところをよく見ると皆さん少しずつ違います。それが個人のユニークさになります(SNPs)。そのようなことを多くの研究者が、この遺伝子がこう変わるとよくなるのではないかと、3万個あるいは5万個ある遺伝子を、正直言いまして逐一調べています。

 「それは大したことでも何でもありません」と言うと皆さんびっくりするのですが、「すぐにできます」と言うとさらに多くの人がびっくりします。すなわち、少なくとも3年前までは、遺伝子の数は10個か5万個か 100万個か1億個かわからなかったのですが、我々は今、3万個で終わりになるということを知っていますから、明らかな合理性から、3万個をしらみ潰しにやればできます。

それぞれの遺伝子の機能を調べていくと、こういう遺伝子がこういう形になっていると早く老化する、こういう遺伝子になっていると癌にかかりやすい等々が報告されてまいります。遺伝子診断はプライバシーの問題がありますので非常に神経質に扱う必要がありますが、医療応用に関してはこのような基礎研究をもとに、皆さんのコンセンサスが得られれば、例えばどうも癌にかかりやすい感じがあるから少し早めに頻回に検査をしようという予防医学が恐らく可能になります。

 もう一つの大きな可能性は薬です。同じ薬効の薬でも、こういう遺伝子を持っている患者さんはこの薬が効きやすい、逆にこういう遺伝子ではこちらの薬が効きやすいということがまず確実にわかります。そうなってくると、皆さんが病気になったときにその遺伝子座位を調べて、この方はこちらの薬のほうがよく効いて早く治るだろうということがある程度の予測できるようになってきます。そういうことを駆使しながら、予防医学やテーラーメイド医学(背広をあつらえる custom-madeのように患者一人一人に合わせた医療)を可能にするようにならなければならない。

ただ、全部やって経済的に見合うかどうかという問題がありますが、それはまた別の問題です。また皆さんがどの程度までやってもらいたいと希望するか、それもまた別の問題です。ただ研究者たちはこの5年、10年内外でそこまでは技術的に十分可能であろうと考えていますし、もちろんみんな頑張っています。

( OHP No. 8 ) そのためには一つ一つの遺伝子の機能を調べる必要があります。その手法として現在、我々の研究室で集中的にやっているのは、遺伝子ノックアウトです。

 遺伝子ノックアウトはこのようにして作ります。細胞の中のchromosome(染色体) の赤の遺伝子座位は父親から1個、母親から1個がもらいます。ここの赤の遺伝子だけをノックアウト(機能不全)にしたいときに、我々はピンポイントの爆弾(ベクター)を使用します。我々は既に赤の遺伝子を持っていて、正常な座位は左から右まで赤になっていますが、途中を壊す destructionが非常に簡単にできます。我々の大学院生では2、3日で作ってきます。

この遺伝子ベクターを細胞にかけると大きく3つのことが起こります。1つは外から入れた遺伝子が全くこの細胞に入らないという、我々にとっては非常に都合の悪いケース。もう一つはこの遺伝子が細胞の中には入りますが、期待していないところに入ってきたケース。この場合は本来ある赤の遺伝子は全く正常ですから、ノックアウトにはなっていません。最後が我々が狙っているノックアウトです。遺伝子座位を壊すような細工をした遺伝子ベクターが外からすっと入ってきて、この赤の遺伝子を壊して機能しないようにします。

この一番大きなポイントは、3万個あるいは5万個の遺伝子の中で、自分たちが壊したいこの1個の遺伝子だけを targetingすることが可能です。このテクノロジーを使って1個の遺伝子をまず壊して、この細胞の中でどういう変異が起こるかを見れば、それぞれの遺伝子の機能は理屈の上では完璧にわかります。

 現在、我々も含めて非常に多くの研究室が軒並みこの手法を使って3万個のありとあらゆる遺伝子のノックアウトをやっていますが、実はヒトに応用するのは非常に難しい。我々はマウスなどの実験動物レベルで研究をして、マウスでもヒトとかなり似た部分がありますが、ヒトについては研究がやはり難しい。第1にもちろんこんなことをやってはいけないという倫理的な理由はありますが、私も含めて皆さん、ヒトは基本的に雑種ですから、研究素材に雑種を使うというのはやはりやりづらい。比較するためには他の遺伝子座位を均質にする、一定の状況にしていくことが研究の一番大事な基本ですが、それがなかなかできないので、我々研究者はマウスとかチック(ニワトリ)の細胞を使ってやっています。

 こうやっていきますと、理屈の上ではマウスの3万個あるいは5万個の遺伝子の機能はほぼ完璧にわかってきます。そこで、マウスで得た情報をヒトにどれだけ外挿できるかというと、僕の雑駁な感覚では6〜7割ではないかと思います。当然ながらヒト特有のものが3〜4割絶対にありますから、きちんと臨床研究をしようとすると、患者さんにインフォームドコンセントをしてその趣旨を理解していただいた後、採取した細胞を研究材料とすることになります。それはこれからやっていかないといけません。

( OHP No. 9 ) 基礎の研究はこれだけではなくて、実は我々はもっと深いところを狙っています。3万個の遺伝子からどうして一つの生命体ができてくるのか、これは非常に謎です。恐らくみんな考えていることは、非常に複雑に絡み合ったループのネットワークです。

 3万個の1個1個がこれに相当します。これがいろいろなループを描いて、また将棋倒しのように一つのタンパクから酵素1の触媒作用によってAになり、さらにB、CへとA→B→C→……というカスケードを形成し、これらがお互いに微妙に交差しながらなおかつフィードバックをかけながらやるというのが生体そのものであろうと考えられます。これはもう生体工学の範疇になりますが。

 先ほどの遺伝子ノックアウトを手法を使ってこの遺伝子のノックアウトをやれば、このループがいかなくなるので、この遺伝子はループの最初にあるんだろうなあという予測はできます。しかしこのループの実態は何かという研究をする必要があります。逆に言えば、このループの実態、コンピューターで言えばソフトウエアがわかってくると、もっとうまく微妙に変化させることができ、さらに適した治療ができるのではないか。これが我々が一番やりたいと思っている研究テーマです。

 我々の研究室で特に若い人たちが一生懸命頑張ってやってくれていますので、ループの解明までいっていませんが、その成果を少し紹介します。

( OHP No. 10 )  我々のような研究をやっている者から言いますと、研究をやる道筋は非常に簡単です。

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  観察→ 既に得られているデータ→ 仮説構築
 → 実験/観察→新規のデータ→結論
 → 理論構築または仮説の再構築
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他の人のデータをきちんと見て、どうもこういうループが考えられるのではないかという仮説を作ります。次にその仮説を証明するような非常にうまい実験デザインを考えて、実験がきれいにいく必要があります。そして出てきたデータから考えていた仮説が正しいかどうかということを検証して結論を導いていきます。ここで、こういうループができあがっているのではないかという理論構築のための深い思索が要ります。

 もちろんこの結論は不完全なのもですから、この結論から得られる新しい仮説を構築して、もう一度戻って実験をします。こういうことを繰り返しています。実際、全員が全員ともうまくできるわけではありませんが、いい研究者はこれがきちんとできています。

( OHP No. 11 )  我々は研究材料としてB細胞を使っていますが、B細胞はご存じだろうと思います。皆さん大人ですからB細胞は骨髄でほとんどできてきますが、B細胞がなくなると免疫グロブリンが全く出てきませんので、ほとんどの患者さんは病原性の細菌などに非常に感染しやすくなります。この免疫抑制を説明するのに、メディアでは移植のケースが取り上げられますが、実際に最近では移植を日本でもかなりルーチンにやられるようになりました。移植をやると、移植を受けた患者さんの生体は移植された臓器を敵だと思ってどんどん破壊しようとしますから、免疫機能を意図的に少し落とす必要があります。そうすると、割と感染しやすくなります。そういう感染に対して非常に重要な機能をしているのがB細胞です。

 我々がやりたいと思っていることは、B細胞に異常のある患者さんがいれば、その病気が遺伝子異常に起因するかどうか。その遺伝子は何か。遺伝子異常であれば、正常な遺伝子を導入すると治るのではないかという研究。もう一つはB細胞を介する細菌感染の原理、ループを解明したい。そうすれば、こちらが免疫機能を上げたいときに上げさせたり、下げたいときに下げることができ、一生免疫抑制剤を飲まなくても簡単に社会復帰ができるのではないかと考えております。

( OHP No. 12 )  もう一つ、これは conseptual で非常に難しい話になります。自己免疫疾患。女性に多いリウマチもそうですが、免疫異常によって起きる非常に大きい一群の病気があります。その原因としてシンプルなアイデアが考えられています。B細胞には善玉B細胞(白)と悪玉B細胞(黒)があり、悪玉B細胞は自分に向かって来るB細胞、善玉B細胞はウィルスや細菌が体の中に侵入したときに、外来のものに向かって繁殖して対抗するB細胞です。悪玉が認識するものは我々自分自身の体の一部分ですから、悪玉がふえてくると、自分の臓器を傷害する抗体を作ってきます。それが一つの大きな自己免疫疾患の原因だと考えられています。

 では、善玉と悪玉のうち、最初に善玉だけ出てきて悪玉は出ないのかという疑問があります。今までの研究でわかったことは、全くそういうことはなく、どなたにも私にも善玉と悪玉を持っていますが、悪玉はなんとかこの生体の全体のループで押し込められています。この細胞自体は実際に存在しているのですが、その機能が抑制されて基本的に悪い状態が発現できない半病死の状態に陥らせることができます。善玉は特に抗原、例えば細菌やウィルスが外から来るとすぐに反応して、どんどんこの細胞ができて抗体を作っていきます。このように善玉B細胞と悪玉B細胞は何によって決まっているのかということを一生懸命研究したいと思って、現在やっています。

( OHP No. 13 )  悪玉をもっと動かせないようにしたい、あるいは善玉をもっと動かしたいということから、我々が特に注目して excite してやっている研究があります。1992年からやりだした研究で、難しい言葉ですが、PLC(ホスホリパーゼC) γ2が活性化されると、善玉ではカルシウムがすっと動きだします。

( OHP No. 14 )  これは wild type(野性型)のB細胞ですが、ここで善玉の B cell receptor(B細胞受容体:BCR)を刺激して、細胞内のカルシウム濃度を経時的に測定すると、カルシウムがピッと一過性に上がってきます。この上がり方に違いがあって、善玉はカルシウム濃度が急に上がりますが、悪玉はなかなか上がりません。ですからカルシウムがどうして上がるかということまでのループを考えれば、この実験結果をきちんと説明できるのではないか。第2はもしもその基本原理がわかれば、善玉と悪玉をこちらの都合のいいように変えられるのではないか。そう考えて研究を始めました。

( OHP No. 13 )  1992年に研究を始めた当初、SykとBtk(チロシンキナーゼの一つ)が大事であるということがわかっていました。SykとBtkの遺伝子だけをノックアウトすると、……

( OHP No. 14 )  ……wild type のSykとBtkがある細胞ではちゃんとカルシウムを出しますが、Sykを欠損させると全く出てきません。またBtkを欠損させても全く出てきません。ということからSykとBtkの2つのチロシンキナーゼがカルシウムを放出するのに重要だろうと考えられます。

( OHP No. 15 )  いろいろ考えてまいりまして、私が1996年に本学に入ってきて一番誇れる仕事です。最初に考えたモデルはSykとBtkがここにあります。いずれもチロシンリン酸化酵素(キナーゼ)で、PLCγ2はカルシウムを誘起する酵素ですが、これを直接ヒットする−−このチロシンキナーゼがPLCγ2を直接リン酸化してカルシウム濃度を上げるのではないかと考えられます。

( OHP No. 16 )  しかしながら、どうもそれは間違っているということがわかってまいりました。実際に非常に一生懸命やったのですが、どうもうまくいかない。

 実はここに黒々と書いていますが、刺激を入れるとこのようにいろいろなタンパク質がリン酸化されます。PLCγ2もリン酸化されます。どうもこのあたりのどれかがSykとBtkとPLCγ2を結ぶ中間のタンパク質ではないかと考えました。助手のイシアイ君が片っ端から採ってクローニングするのに1年半かかって、彼は相当グロッキーになっていましたが。その結果、我々がBLNK(ブリンク)と命名した中間のタンパク質を除くと、カルシウムが全くヒットしないことがわかりました。これを傍証して、非常に大事な発見だとイシアイ君と本当に喜んだのですが。

( OHP No. 17 )  最終的に我々は、SykとBtkがあって、PLCγ2をヒットする間にBLNKと新しく命名したものが存在するだろうというモデルを提出しました。そして、これはカルシウムをヒットするのに善玉B細胞に必要なタンパクである、ここまでわかりました。

 ここから2つほど悔しい思いがあります。一つには患者さんがいました。これは我々の責任ではありませんが、患者さんをとにかく探さないといけないというので必死になってイシアイ君と探したのですが、アメリカのチームがBLNK異常の患者さんを見つけました。その患者さんは決して死にませんが、免疫グロブリンが出てきませんから、非常に感染しやすい免疫不全の患者さんでした。当然ながら、我々は既にBLNKを知っていますから、このBLNKを遺伝子治療でB細胞に入れれば、この患者さんは絶対に治ります。ただ我々が患者さんを発見できなかったことが非常に残念です。

 もう一つ残念なことは、将来に向けて大きな実験をやるためには、BLNKのノックアウトマウスを作ってどういう病態が起こってくるか観察する必要がありますが、それは我々の準備が不完全で、世界の3、4グループが競ってやっている中で、約1年ぐらいの遅れで負けました。1年遅れると仕事になりませんから、敗退ということになります。

 こういう悔しい思いをしてきたわけですが、まだBLNK以外にいろいろな病態を起こす遺伝子がまたまだ隠れていますので、現在も一生懸命、うちの研究室の若い人と頑張ってやっています。

 我々がやっていることに関して、質問やご批判、ご助言があればどんどん言っていただきたいと思います。また我々の研究も理解していただいて、関西医大をもっともっとサポートしていただきたいと思います。どうもありがとうございました。

質議応答

この講演記録は、ボランティアの方が録音から起こした筆記録のディジタルファイルをもとに作成されたものです。
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